企業紹介インタビュー 日揮株式会社/JGC CORPORATION

企業紹介インタビュー 日揮株式会社/JGC CORPORATIONの写真

日揮株式会社 経営統括本部管理部
部長代行
氏家誠さん

日揮株式会社 経営統括本部管理部
総務グループ 統括マネージャー
海堀孝文さん

横浜みなとみらい21地区に事務所を構える企業の皆様に、直接街の魅力をご紹介いただくことで、このエリアで働くことの魅力に迫るインタビュー企画。

今回はみなとみらいでも一際目立つランドマークタワーの横、クイーンズタワーA棟に本社を構える日揮株式会社様にお話を伺いました。
お話を伺ったのは日揮株式会社経営統括本部管理部 部長代行の氏家誠さんと、同じく経営統括本部管理部総務グループ 統括マネージャー 海堀孝文さんのお二人。

プラントエンジニアリングの日揮

-- まずは御社の事業概要と沿革を教えて下さいますか?

インドネシアLNG プロジェクト

大分メガソーラー

氏家さん:当社は設立以来およそ80年にわたり、石油精製、ガス処理、LNG、GTL、石油化学などのハイドロカーボン分野からライフサイエンス、環境などの幅広い分野で、世界70カ国以上2万件に及ぶビックプロジェクトを遂行してきました。
特に東南アジア、中東、北アフリカといった地域で数々の巨大プロジェクトを成功に導き、石油メジャーや各国の国営石油会社から、世界屈指のエンジニアリング企業として高い評価を得ています。

規模で申しますと、数百億円、数千億円のプラントを作ることがメインの事業となっています。
もちろん、プラントに限らず、プロジェクト・マネジメントのノウハウを活かして病院を作ったり、商業施設を作ったり、さまざまな業種業態へ領域を拡大しています。

海堀さん:設計・調達・建築というEPC(Engineerring, Procurement, Construction)のそれぞれの分野を一気通貫で行う、プロジェクトの最初から最後までを統括するのが我々の行うプロジェクト・マネジメントです。このような大規模なプラントを作るEPCビジネスと合わせ、近年では資本参加をして事業を行う事業投資ビジネスも増えてきております。

氏家さん:当社は1928年(昭和3年)に東京の麹町区内幸町で設立しました。創業者が大正の時代にアメリカに渡り、モータリゼーションを目の当たりにして帰ってきたそうです。そこで車を作るのではなく、車の燃料を作ろうと考え、アメリカの原油からガソリンを作る特許のライセンスを購入し、製油所を始めようとしたのが最初です。その後、諸般の事情から製油所経営を断念し、1940年代からエンジニアリング事業を行ってきました。

戦後復興から高度経済成長の時代、日本経済の急激なエネルギー需要の増加を背景とする新規製油所や、石油化学コンビナートの建設計画が相次ぎ、その中で大型のプラントを数多く受注し、エンジニアリング・コントラクターの立場として日本経済を支えてきました。その後、1960年代から海外への事業をスタートさせました。

昭和30年代から続く上大岡との縁

- 横浜みなとみらい21に進出された理由を教えて下さい。-

氏家さん:実は1945年(昭和20年)頃に触媒工場や研究所を横浜に持っていました。場所は弘明寺と上大岡の間で、今では大型スーパーが建っているところです。その頃からですね、横浜とのご縁は。
それからその工場を事務所として使い始め、事業拡張をしていく中で次々と建物を増やしたところ、最終的には13棟ほどの建物になりました。また営業機能・管理機能が東京本社にあり、そちらに最大500名ほどが働いており、上大岡では2,000人以上が働いている状況でした。

1988年頃に全社的な運動もあり、事業所を1つにまとめて業務を効率化しようとなりまして、候補地を検討しはじめました。
その候補地の中に、横浜みなとみらい21地区があったんですね。1993年にランドマークが作られ、まさにこれからというところ。横浜市の行政も入って、しっかりと都市計画を描かれていたんですね。それが決め手でした。1997年のことです。

また長らく上大岡に事業所がありましたので、社員の多くが三浦半島に住んでいたということもあり、従業員にとって馴染みのある横浜を選んだということです。

40カ国、800人の外国籍のスタッフと共に

-- 実際に横浜みなとみらい21に移転されてからはどうでしたか?

氏家さん:当社としては東京と上大岡の機能を合わせて1つになった事で、大変価値のある移転だったと言えると思います。

それと私達の仕事では、大規模なプラントを構築するには多くのパートナー企業との連携が必要となります。その際、社内でプロジェクト単位のチームがいくつも作られますが、プロジェクトチームの空間は上大岡の頃は3フロア分だけだったのが、みなとみらいに来てからは最大9フロアとなり、数多くの外国籍の方々が一緒に働く環境が出来ました。
今では、この本社ビルだけでおよそ40カ国、800人の外国籍の方々が働いています。合わせて、海外から出張で来られるお客様も増えましたし、みなとみらいには大きくて素晴らしいホテルが数多くありますから、大変助けていただいております。

年始式などの大規模な式典もパシフィコ横浜のコンベンション・センターを利用させていただき、まさに様々な面からみなとみらいへの移転は価値のあるものとなりました。

魅力溢れる街、横浜

-- 社員の皆さんの働き心地はいかがでしょうか?

海堀さん:働き心地に関しては、申し分ありません。
みなとみらい線と直結していますから、雨に濡れずに出勤出来ますし、なんといっても街の多様性。みなとみらいエリアにはさまざまな飲食店がありますし、近くには野毛という昔ながらの街もある。横浜には中華街もありますし、一緒に働く海外のパートナー達にも横浜の街の魅力が知れ渡っている状態なんですよ。

氏家さん:先ほど申し上げたように、事業所を1つにまとめることで業務の効率化が進み、働き心地は格段にアップしたと思います。

日本企業としての誇りを胸に

-- 最後に何かありましたらぜひ。

氏家さん:当社の事業の8割、9割が海外でのプロジェクトとなっている今、本社を日本に置いている意義としましては、我々の事業の核であるプロジェクト・マネジメントの部分と密接な関係があると感じています。

国内外の建設現場で労働安全衛生の一環としてIIF(Incident and Injury−Free:無事故・無傷害)活動を展開しており、3万人が働く海外の巨大プラントでも我々は朝礼を実施するんです。 朝礼はまさに、日本の文化。日本のスタッフ達が良く言うのはIIFは"いい・ふれあい運動"。現地のスタッフと職長達が同じテーブルに付き食事をする、声を掛け合ってチーム一丸となって仕事に取り組む。こういった日本の企業ならではの文化を大切にすることで、プロジェクト・マネジメント力ではおかげ様でお客様から常にトップクラスの評価をいただいております。

海堀さん:そう言えばプロジェクト・マネジメント力だけでなく、当業界ではHSEと呼んでいますが、安全衛生・環境の分野でお客様から世界No.1の評価を頂きました。 世界は今エネルギー問題、地球温暖化、水・資源の問題等に直面していますが、まさに当社が取り組んでいるビジネスそのものです。日本の良さ、日本人の良いところを世界に伝えていきながら、この横浜という場を起点に、事業を通じて社会的責任を全うしていけたらと考えております。

地域の活動に関しても、みなとみらい地区で行われるさくらフェスタや盆踊りの活動に実行委員会のメンバーとして参画させていただいています。また、横浜みなとみらいホールで横浜市教育委員会主催の"心の教育ふれあいコンサート"という音楽鑑賞会が毎年開催されいます。これはプロのオーケストラ(神奈川フィルハーモニー管弦楽団)による生の演奏を横浜市立の小学校や特別支援学校の児童に鑑賞してもらおうというもので、こちらの応援をさせていただいています。 このように微力ながら可能な範囲で地域や社会に貢献していければと考えております。

-- 今日はお忙しいところ、インタビューありがとうございました。

取材:2014年3月